HISTORY OF MOTOR SPORT.
サバンナ・モータースポーツヒストリー
芸分社ノスタルジックヒーロー創刊号「ノスタルジック60’s」より。
 レシプロエンジンとロータリーエンジン。現存するガソリンを燃料とした2つのエンジンは、 レースシーンにおいてチェッカードフラッグを目指し激しく争っていた。
 それは、まだ各メーカーがハッキリとレースにワークスチームを参戦させている頃の話である。 現在では、悲しいかな、完全なるワークスチームは、あって無いような状態だ。それはさておき、 ツーリングカーレース、それも、TS(特殊ツーリングカー)クラスのレースは、ツーリングカーの 花形であり、人気が高かった。
 ここでレシプロエンジンの代表としてあげるのが、DOHCのS20型エンジンである。そして、 ロータリーの代表は12A型エンジン。
 S20型は、日産スカイラインGT−Rに搭載され、日本レース界に50勝というとてつもない 記録を残している。<ツーリングカーの王者>という名をほしいままにしていた。
 一方、12A型エンジンは、サバンナRX−3の心臓部として<ツーリングカーの王者>を レースの第一線から引きずり降ろした張本人である。
 共に戦うマシンとしてサーキットにデビューするやいなや、その性能をフルに発揮してトップの 座へと駆け登っていったエンジン、マシンだ。
 S20型は、日産R380のGR8型と基本的に同じレイアウトを持ち、そのレースの素質は、 レースデビューする以前から関係者の注目の的となっていた。
 12A型エンジンは、コスモスポーツ、ファミリア・クーペ、プレスト・クーペに搭載されていた 10A型エンジンの流れをくむ小排気量、大パワーのエンジンである。
 スカイラインGT−Rとサバンナの出会いは、1971年の12月に行われた富士ツーリストトロフィー 500マイルレースであった。(71年は、サバンナRX−3に10Aが積まれていた)それまで スカイラインは、49勝を数えており、このレースで勝てば、50勝となる。
 どうしても年内に50勝をと考えた日産陣営は、多量8台のGT−Rをエントリーさせて排水の陣 をしいた。それに対してサバンナのマツダは、3台のカペラと1台のサバンナでこの50勝を阻止 するべく参戦したのだ。
 ル・マン式スタートで火ぶたが切られた500マイルレース、レースの序盤から激しく2台ワークス がトップを争った。
 50勝を目の前にしたスカイラインGT−R勢は、メカニカルトラブルや、クラッシュによって 思うようなレース展開ができず、気が付くとロータリー勢に先行されていた。カペラ−サバンナ− カペラというフォーメーションによって上位3位までを占めるロータリー勢。
 しかし、この上位のグループから2台のカペラが脱落、サバンナのみが、残った。
 スカイライン勢もすでにコースに残る台数が少なく、久保田/杉崎組のGT−Rに勝利の望みが かけられていた。サバンナは、加茂/増田組。この2台にレースの勝敗はしぼられた。
 GT−R対サバンナ。レースも終盤に入ってトップのサバンナが富士の中でも一番テクニカルな コーナーとされている100Rでスピン!タイロッドを曲げてピットへ入って来た。これを見た ニッサン陣営は、50勝達成目前と湧きに湧いた。
 ところが、レース終了まで、あと4周という時になって今度はGT−Rがピットロードへ入って 来たから大変だ。
 右フロントタイヤをバーストさせながらピットへ急ぐGT−R。またしてもサバンナがトップへと 返り咲いた。タイヤバーストだけでなく、サスペンションにもトラブルのあったGT−Rのピットイン は長かった。
 サバンナは大事をとってもう一度ピットイン、完全にフィニッシュできるだけのガソリンを補給し、 ピット作業がまだ続く、GT−Rの横を抜けてコースイン、勝利を手にしたのであった。
 サバンナの登場によってGT−Rの50勝は、翌年に持ち越されることになってしまった。
 そして1972年3月20日、‘72富士グランドチャンピオンシリーズの第一戦スーパーツーリング チャンピオンレース。19日の予選においてダンロップの試作スリックタイヤをはいた高橋国光の スカイラインハードトップ2000GT−Rがポールポジションを獲得した。
 しかし、翌日の決勝は、前日の好コンディションがウソのような猛風雨。スタート時刻が好転を 願って遅らせられ、20周レースも15周に短縮された。コースは全域が水たまりと化し、最悪の コンディションとなってしまったのだ。
 その中を2000GT−Rの高橋、都平健二がスタートから飛ばしていった。前車の蹴り上げる水しぶき で前がほとんど見えない状況であった。岡本安弘、宮口茂樹のサバンナ、そして前田陽次郎のカペラ、 3台のロータリー勢はGT−Rのペースについていけず苦戦していた。
 高橋−都平−久保田洋史のGT−Rが1−2−3走行。7周目に入った時に、短縮された15周の レースがまた12周へと変更された。
 途中、都平は、コースアウトしてリタイヤしてしまったが、高橋−久保田はトラブルなく12周の ヘビーウェットコンディションレースをフィニッシュしてみせた。サバンナは、岡本が3位に入った。
 この勝利でスカイラインGT−Rが50勝という大記録を達成したのであった。GT−R対サバンナ の戦いは、一勝一敗、五分の量となった。
 決着の時は、5月にやってきた。‘72年JAF・日本グランプリである。サバンナは、以前の10A 型エンジンに替えて12Aエンジンを積み、よりパワフルに、より戦闘力を高めてGT−Rと相対した。
 決勝のスターティンググリッド最前列には3台のロータリー勢、片山義美のサバンナRX−3、 武智俊憲のカペラ、従野孝司のサバンナRX−3。GT−Rは高橋国光のマシンがセカンドポジションに 着いていたのみ。
 このスターティングポジションを見ても、新旧、ツーリングカーの王者が入れ替わるときがやってきた ことを知らされる。
 グランプリ前にリファインされたGT−Rであったが、スタート後、1度もトップでコントロールライン を通過することはなかった。
 チェカーフラッグが振り下ろされると共にひとつの時代が終わり、そしてまた新たな時代がスタートした。
 スカイラインGT−Rとサバンナ。モータースポーツファンを大いに楽しませてくれたツーリングカー 達であった。



※文中の「前田陽次郎」は「寺田陽次郎」の間違いかと思われますが、原文のまま掲載しました。
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